これまで、市民の方と子育て、介護、川や生き物の調査活動を行い、また自転車専用レーン、廃棄物処理、小水力発電などの施設見学を通してわかった課題を政策化し、議会活動を行ってきました。
いま、区は盛んに区民意見を受け付け、返答をしていますが、一往復だけでは議論は深まりません。暮らしやすいまちをつくるために、さまざまな異なる意見を持つ市民と合意を図りながら区の計画や方針をつくることが必要です。
大事なことは市民が決める。このスローガンを掲げ、今回の区議会議員選挙に臨み、再び区議会に送っていただくことができました。
政治の主役は市民―市民政治がしっかりまちに根付くよう活動を進めてまいります。
2012年5月15日
沖縄復帰40年に思う
〜 沖縄が好きなら基地を持ち帰って…には参った! 〜
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復帰して6年目の1978年7月30日。右側通行から一夜にして左側通行になったことを記念してできた「730(ななさんまる)交差点」にある記念碑。石垣島。
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沖縄が日本に返還されて40年が経ちました。40年かぁ、と流れた月日に思いを巡らしている私の目の前に朝刊がありました。
「40年たったいまもあまり変わりがない」と訴える46歳の女性の言葉です。基地による人権侵害を本土に訴えても届かない、と。
その女性は、「本土復帰」「日本への返還」という言葉に違和感を持っている。−この記事を読んで、琉球の歴史を虫食いではありますが自分なりに本をかき集めて「琉球国」の位置や中国、朝鮮との関係を学ぶにつけ、「復帰」というのはちょっと違うのではないか、と感じていました。そして、彼女のこの言葉に心臓がドキン!となりました。
「沖縄が好きなら基地を持ち帰って」以前も書いたと思いますが、私が20歳の時のこと。5月の連休後に沖縄に帰ったクラスメイトが5月末に戻ってきました。
「面白いのよ。帰る時はパスポートを提示したのに、こっち(東京)に来る時にはノーパス。なんか日本人になったって感じた」
このところ、基地と原発が地元への「経済支援」という点で同レベルで語られることが多いですね。構造が似ているからでしょう。誰も好き好んで招かない。でも、国からの経済支援が半端な金額じゃないほどやってくる、そしてそれらによって潤う事業所、就労先が確保できるから首長は泣く泣く引き受ける。
いま全原発が止まってはいますが、とりあえず原発から80km以内には人が立ち入らない、基地の周辺から住宅、学校施設を立ち退かせる。こんなのでは何の解決にはならないでしょうが、無策よりはまし。
本当に、原発が必要なのでしょうか。
本当に、日本にそれも「沖縄」に基地が必要なのでしょうか。
いずれも、幻想なのでは?