戦跡パネル展−旧日立航空機立川工場変電所 市橋あや子 杉並区議会議員
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2008 年 2 月 17 日     カテゴリ:市橋あや子は考える
戦跡パネル展−旧日立航空機立川工場変電所
〜戦死した伯父のこと〜
今年も、東大和市にある都立東大和南公園にある旧日立航空機立川工場変電所で戦跡パネル展が16、17日に開かれています。
私の伯父(母の兄)は、1945年4月24日、この日立航空機立川工場への米軍による爆撃で亡くなりました。23歳でした。私はまだ生まれておらず、伯父に会ったことはありませんが、母や祖母に「兵隊おじさん」の話を聞いて育ちました。

この写真で見られるように壁面に残る無数の弾痕は、1945年2/17、4/19、4/24の3回に渡る戦闘機爆撃によるもので、特に最後の爆撃はB-29 101機編隊による爆弾投下によるもので、激しい攻撃だったとか。このときに亡くなった104人のうちの一人です。

母によるとこの爆撃で亡くなった中にいた軍人はただ一人で伯父だけだったが、「太平洋戦争 戦災犠牲者慰霊碑」に亡くなった人の名が刻まれているがそこには「井口壱之助」の名前がないそうです。

その伯父は、当時の横浜高等工業学校(その後横浜工専、現横浜国大工学部)を卒業し、神戸工業に就職。その後軍人として日立航空機のエンジン部門の監督としてこの写真のあるところでエンジンを作っていたところ、爆撃を受けたとのこと。祖母は自慢の息子が爆撃を受けて死んだということを信じられず、遺体の引き取りには行かなかったし遺体も見なかったと聞いています。
《私は祖母に「綾子はいっちゃん(伯父の名前「壱之助」からきている愛称)の生まれ変わりだ」と育てられましたが、私は今「市ちゃん」と呼ばれています。(関係ないか?)》

母は東大和市に連絡をして慰霊碑に名前を入れて欲しいとお願いしたそうですが、遺品を持ってきてくれ、といわれ、しかし、手元には1枚の写真しか残っていない状態で「遺品」にはならず。
『担当の人が「確かに軍人さんが一人いたということは聞いています」といっているんだけど遺品がないからねー』と残念がっています。

戦争の記憶を持っている人が段々少なくなっていきます。
戦争は二度と起こしてはいけない−国民みんなが思わなくてはいけない。戦争映画を見て「かっこいー」といっていた若者を憂いている人がいましたが、それは大人の責任だということを大人も自覚しないといけないですね。戦争の悲惨さを伝えていかねば。




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