2007 年
9 月
14 日
熊野古道で見たものは・・・
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熊野古道を歩いてきましたが、奈良県、和歌山県に1つずつ不思議なものがありました。1つは、十津川。山肌に沿って道がつくられているのですが、その脇に(山肌から離れて)高架道路ができていました。落石の危険があって山肌側の旧道は使わないのかと思いきや、使っている様子。山を背負って家も建っています。で、その高架道路はというと、交通量は高が知れているのです。約1キロメーターの道。(写真左) もう1つは熊野川。オリンポスの丘の神殿にあるような柱がにょっきり熊野川を渡るように立っています。これは橋でも架けるのか?しかし資材が置いてある様子が見えません。 景観上からも良くないです。(写真右)
白浜にある南方熊楠(ミナカタ クマグス)記念館にも行ってきました。この記念館にはまってしまって、じっくり見てきました。とても興味深い人です。レオナルド・ダヴィンチも真っ青なくらい緻密で、物の見方が天文学的で。天才というのは彼みたいな人を言うのでしょうね。10数ヶ国語が自由に使える熊楠は植物学者と思っていましたら、博物学者でもあり民俗学者でもありました。(博物学者って何?)東大予備門(現東京大学)に通っていたのですが、熊楠が学びたいものは教室の中にはなく、屋外の事象調査に明け暮れていて落第。で、和歌山に帰ってきたとのこと。そのあと、アメリカに渡り、その後イギリスの大英博物館で仕事をしていたようです。生まれ育った和歌山の熊野も調査し、○○ホコリという粘菌をたくさん見つけたというコーナーにはそれぞれの「ホコリ」に拡大鏡がついていて「どうぞご覧ください」と。覗いた私は、早くうちに帰って掃除しよう!って思いました。神社合祀反対運動をした人でもありました。これは、各集落毎にある多くの神社を合祀して、一町村一神社を標準とせよというお達しがあり、和歌山県はとくに強制威圧的に推進しようとしたとか。熊楠は、町村の集落ごとに祀られている神社は、住民の融和、慰安や信仰の拠りどころである、と考えていたのです。合祀は史跡と古伝を滅亡させ、神社林が伐採されることで自然風景と貴重な解明されていない生物が絶滅するのなどを心配した、と説明文にありました。
熊楠記念館のパンフレットにある肖像写真は誰かに似ている・・・と思っていましたが、思い出しました。ガレッジセールのゴリでした。 <写真> 熊の散々・・じゃなくて、熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)には八咫烏(ヤタガラス)が登場します。熊野の神の使いだとか。写真は熊野本宮大社。
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